Tuesday, 12 July 2011

聖なる「かのこん」と「とらぶる」

プレオーダーの「かのこん16」の配達日まであと半年以上……

これほど続きを読みたいと思った本はないと思う。(まあ、あたしゃ常に流行後追いだったから、こーゆー経験は初めて。)

「かのこん」はかなりえっちなラノベだけど、決してえっちなだけではなくて、少年の成長を神話的に描いている奥の深い作品でもあるのだ。何年間もユングを読み続けてきたあたしを酔わせるだけの大作なのだ。


人間と妖怪、晩熟な少年と大胆な少女……正反対のものが出会って、火花を散らして、人格を確立させていく。新しい力を創造していく。

耕太とちずるの気の結合はユングが言うhieros gamos-聖なる結婚-そのもので、ふたりの娘として生まれた「まどか」は明らかにその産物だ……。

で、同じようなことを感じさせるのが、えっち漫画の「To Loveる-とらぶる」。晩熟な少年と大胆な少女、普通の人間と宇宙人のお姫様と構成は同じ。(「かのこん」のちずるが土に密着した精霊的なアニマならば、「とらぶる」のララは神とか天使とかいった純粋度がもっと高めのアニマかも知れない。)

僕は最近まで、「とらぶる」にはhieros gamosは出てこないと思っていたが、うかつだった。(「かのこん」では耕太とちずるが夢の中ではあれ、えっちをしているが、「とらぶる」ではリトとララは夢の中でさええっちはしていないので……。)

実は、幼女型不思議宇宙植物セリーヌがhieros gamosの産物なのだった!

漫画第14-15巻で、主人公のリトとララが枯れかけていたセリーヌ(当初は巨大な食虫花のような植物だった)を助けるための薬をある星まで取りに行く。愛するものを救うという行為をリトとララが協力して行い、正反対の性格のふたりは結ばれ、その結果としてセリーヌが幼女の姿でよみがえったのだ。

(その際にララの衣装ロボットであるペケが故障して、ララが全裸になってしまうのは偶然でも、単なる読者サービスでもないだろう。「かのこん」の耕太とちずるの「精神世界内での結合」のように、象徴的な初夜なのだと思う。あと、セリーヌが「復活」したということは、何かが「死んだ」ことでもある。何が死んだのだろう?考えてみたい。)

セリーヌの誕生はリトと、彼のアニマであるララとの一体化を意味する。と、いうことはリトが精神的に一歩成長したということになる。リトが片思いをする春菜とララが仲良しになっていくことからは、リトが春菜と結ばれる条件が整ったことを意味するような気もする。どうあれ、読み直して、もっと考えてみたい。

「かのこん」、「とらぶる」はともにただ単なるえっちラノベ、漫画ではない深い味わいがあると感じさせられると同時に、人間の「性」というのは本来、聖なるものであることを再認識させてくれた気がする。

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