2013年10月20日日曜日

大阪生活最終夜に美猫からもらった慰め

西成のドヤに入って、笑点を見てから食事に行こうと思ったら、部屋のテレビではMBS 以外は受信不能。

なのでちょっとぶらぶらしてきた。昭和末期の雰囲気のある商店街
近くで数匹の猫を見掛けた。立ち止まると、そのうちの1匹が僕のところに駆け寄ってきた。

そいつは何だかロシアンブルーみたいな、きれいな青みがかったメ
ス。僕にすりよりまくるわ、口の横を撫でろとねだるわで、僕を気に入ってくれたみたい。

しばらく座り込んで僕は彼女の相手をしていたが、いつまでもそう
している訳にもいかず、立ち上がると、彼女はちょっと悲しそうな顔をした。

近所のスーパーで買い物をしてから、またそこを通ったら、彼女は
塀の上にいた。そして、僕に気付くと、大急ぎで壁から駆け降りてきて、また僕に擦り寄った上に手まで舐めてくれた。キスしてもらったようなものだから、嬉しかった。
なんでこんなに僕を気に入ってくれたのかは知らない…でも、大阪生活の終りを明朝に控えて、寂しい気分でいる僕には、美猫とのいちゃいちゃは、かなりの慰めになった。

(僕が出会ったのはこんな感じの猫。ケータイの電池切れで写真撮
れなかったので、この写真は資料画像…)

2013年10月19日土曜日

これなら日帰りでも…それでも感激…

昨日、大阪から京都に泊まりで行って見たとこ:

宗忠神社と吉田神社

東西本願寺

(’◇’)

日帰りでも行けるやんかぁ…

でも、東本願寺では帰敬式(おかみそり)の儀式を見させていただいた…仏弟子になるという誓いの儀式で、僧が真鍮製のカミソリ型の金具で儀式を受ける方の髪を撫でてから、法名を与えるというもの。(黒住教だったら神文奉呈式、キリスト教だったら洗礼式・堅信礼かな?)

僕は仏教徒ではないけれど、今回この儀式を受けた方々の、自分の信じる教えに従って、よく行きようとの決意に感動し、幸多かれと願う気分になった。

そして、こういう熱心な信者の多いお寺にはものすごいエネルギーを感じる。本堂に入って、正座すると、お参りの人はそれほど多くなかったけど、昔からここで祈りを捧げてきた人たちのエネルギーを感じて、圧倒されてしまった。

で、今日のお泊りは神戸。京都もいいけど、僕には大阪や神戸の方がしっくりくると感じる…

2013年10月16日水曜日

常識を外れし長き夏去りて

常識を外れし長き夏去りて
熱にはしゃぎし
心は風邪に

約束にしばし遅れし秋風に
約束を破りし心
涙に冷えぬ

寒き風半とせ後に温むなり
春戻るとき
花も戻れと

泣き濡れしほほにも朝日笑うなり
夜露に勝ちて
花はまた咲く

約束を守りし後にまた見たし
美し君の
顔に咲く花…

美し君に道開けんことを
祈りて我は去りぬ…

2013年10月12日土曜日

「元カノ」のような言語

さっき、コンビニにちょっと買い物に行ったとき、20代の可愛らしい女性ふたりが楽しそうに何を買うかでちょっとはしゃいでいた。

まあ、振り返るほどの可愛さではなかったが、僕は彼女たちを振り返って見てしまった。

 

彼女たちが広東語を話していたから…
 

何だかとても懐かしかった。立ち止まって、もっと聞いていたかったし、できれば話しかけたい気分だった。まるで上野駅で故郷の訛りを聞いた啄木みたいだ。
 

大阪では北京語や韓国語はよく耳にする。でも、華南で1億人もが話す広東語は何故か、ほとんど聞かない。だから、聞こえてくるとやたらと懐かしい。やっぱり、僕にとっては英国植民地時代最後の年(1996年)から今年初めまで住み続けた香港が「ホーム」なんだな、と思う。
 

実は、僕が17年前に香港に移り住んだのは、広東語という人間のあらゆる面を素直に表現する言葉に恋したせいだった。その言葉に包まれてみたかった。
 

で、僕は今、大阪から離れ難いと、かなり感傷的になっている。でも、久しぶりに昔、萌えまくった言葉を聞いて、この言葉が話されている街に帰っていくのだから、いいじゃないか、と感じた。
 

でもさ、僕が大阪に来たんは、大阪弁に萌えまくったからなんよね。もうちょっと、この人間味にあふれる言葉に包まれていたいとも思う…

2013年10月8日火曜日

アホ勇者

つくづく、自分って勇者かアホかのどっちかと思う…

いぢめられた同僚かばって「こんなクソみたいな会社やめたる!」って辞めよるし、思い立ったら吉日的に海外移住しよるし、自分を突き動かす美女がおれば、自分の身の程などわきまえずに口説きよるし…

失敗なんて怖ない。死にはせん、そう思うだけ。

衝動的や言うたらそうや。自分の中でエネルギーが蓄積されていって、臨界点に達したらあかん。行動に起こさずにはおれん。

自分の無意識の中に住む非常識極まりない、破壊的な怪力を持つ美少女が僕を突き動かす。なかなか無茶苦茶なアニマ(注)抱えてる人なのよ。
僕のアニマ像に近いキャラ。非常識で怪力の美少女

そら、楽な生き方ではないわ。利口なんてものとはほど遠い。自分の誕生を呪いたくなるくらい辛い時もある。ビンボやし…

でも、だからこそ色んなもの見れてきた。この世を高みからも、底辺からも見てこれた。そんな中で、自分がどんな人間かもよく解るようになってきた。

そして、何よりも人生がおもろいと思う。

勇者か、アホか…どっちかてええやんか。

もうアホ勇者でええやんか。

おれはまだまだアホ勇者、続けるつもりやで。これでなかなか、アホ勇者というやつ、性にあってるらしくてな。どうも天職らしい…

アホォ!

まあ、黒住教というアニマの暴走防止装置は一応、装着して、それを使いこなそうとはしてるけど…

(注)アニマ:ユング心理学用語。解説書くのめんどくせーので、ウィキの関連項目読んでちょ。http://bit.ly/famVxR

2013年6月2日日曜日

B女萌え

結構ひでーうつ状態に入っちったよぉ。

トラウマ地雷踏んじまって、自分が世界全体から「あんたの居場所なんてないんだよ」と言われてる気分になってる

そんなこと言う人おらんし、それは僕がただ単に無意識の中から這い出してきた化け物からそーゆー心理攻撃受けてるだけだってのは分かってるよ。

やらなあかんことあるけど、ちょいとそんなことは横に置いといて、しばらくぐてーっとしてた方がいいってことも分かってる。

だから、仕事と宿題を後回しにして、アホなこと書いて、悪魔祓いしよと思う…

僕の憧れってのは一定してない。びしっとしたキャリアウーマンや委員長タイプに萌えることもあれば、明るいゆるキャラに萌えることもあるし、ちょいヤンキーっぽいのがいいな、と思う時もある。全ては直感的にいいにゃ、と思うだけ。

でも、僕が付き合ったお相手にはみんな共通することがある。

それは血液型がB型ということ。嫁さんもB。

別にB型の女性を選んでいるわけじゃない。たまたま、気が合って付き合った人がB型ばかりだったというだけ。





で、僕の一番の萌え作品「To Loveる」で僕が激萌えした3人のキャラが揃いも揃ってB型だったりさえした。こちらも別にB型だから萌えたってわけじゃなくて、萌えた後でデータブックを見たらB型だったってこと。(添付参照。左側の宇宙人のララ、幽霊のお静、風紀委員の唯、3人ともB。)

そんな訳で何故か僕はB女に萌えるようだ。

僕は別に血液型性格判断の科学性なんざ信じちゃいないけどさ、これだけB型とばっかりご縁があると、何か象徴的な意味があんのかな、なんて思ってしまう。

星座の12種類とかと比べると、血液型の4種類はあまりにも少ないけど、占いって別に完全に荒唐無稽って訳じゃないと思う。僕は星座占いしないけど、タロット引く。で、よく当たるのね。

何故かは知らん。ユングの著作でも読んでみると、分かるかも知れないなんて思う。共通無意識からのメッセージがなんちゃらかんちゃら…って感じだろう。

で、最近、To Loveるシリーズで新たに萌えたひとり、黒咲芽亜(添付右)はO型。自分と同じ。

(後記:添付用の画像を探して、切り貼りして、ちょいとあらを修正したりしたら、ちょいと気分が楽になった…)

2013年1月16日水曜日

たまには歯の浮くようなことに救われることも……

えっちなドタバタコメディー「かのこん」のアニメ版はそれなりに笑えるけど「なんだかなぁ」と思わせる作品だった。(萌え萌えなオオカミ娘、ただのヘンタイになってたし。)

それでも何か気になって原作の小説を買い揃えるまでになってしまったきっかけは、エンディングテーマの曲にあった。この歌のせいで「かのこん」が妙に気になったのだ。

「かのこん」は美少女の姿をしたやんちゃな狐の妖怪と気の弱い男の子の恋の話。えっちな話なんだけど、非常に大きな違いを乗り越えて、ふたりは感情を深めていき、危機に勇敢に立ち向かっていく。金色の毛の狐に触れられた少年の成長の感動的なストーリーなのだ。

で、榊原ゆいの歌う「かのこん」アニメ版のエンディングテーマ「恋の炎」は、広い世界で全く違うふたりが出合い、運命の糸を信じて、どんな壁も乗り越えていけると信じるという、歯の浮きそうな内容のもの。

でも、歯が浮くようなことって日常からの超越なのだ。信仰を持っている人の言うことを、信仰のない人が聞いても歯ぁ浮くだろうな、と思うから。

ところで、妻と私は、どっちが人でどっちが狐か知らんし、もしかしたら両方とも同時にある意味人である意味狐といった夫婦だ。まあ、夫婦なんてみんなそうかも知れない。全く違うバックグラウンドの他人だったふたりが一緒に暮らすんだもの。ただ、うちの場合はいろいろと極端なんだけどね。なので、この曲は全身全霊で実感できるものなの。

で、私の結婚生活はかなりの危機を迎えた。象徴的な別離のために私が大阪に留学するという、大掛かりな芝居を打つことにさえなった。そんな時「恋の炎」は信じにくいことを無理やり信じるのに役立った。その背景には、宗教的な超越を知っているということがもちろんあるけど、この甘い歌は崩れていくものを受け止めるクッションになってくれたのだ。

俗っぽいものの中に隠されている聖なるもの、私は結構好きだ。